在日ミャンマー人(たち)の知らなかった現実を ドキュメントとフィクションの境界を辿りながら生々しく描いた傑作だ。
子どもたちの演技を超えた演技は右に出る映画なし。 映画の中での少年の成長に逞しさを感じる稀有な映画だ。
心を込めて語られた人間味のあるリアルな物語は、役者たちの誠実な表現によって観る者の心を動かす。
子どもたちはリアリティーではなくリアルを生きています。
現場も、編集も、子ども本来の輝きをとても大切にしていたのが伝わってきます。
だから、映画が終わっても想像してしまうのです。
子どもたちは、今どこで、何を感じているのだろうかと・・・
ドキュメンタリー映画に負けない臨場感があり、子供の目を通して日本とミャンマーの現実をあらわにする。
移民問題を「問題」としてではなく、「人生」として描くことによって、より衝撃的な映画になっている。
世界中の観客の心を揺さぶってきた訳がわかる。
現実がどれだけ残酷でも、いつだって道を示してくれるのは子ども達だ。『僕の帰る場所』は、厭世的な視点と、遊び心溢れる子供の視点の繊細なバランスを保っている。大人が文化を越境していくことは大変なことであるが、子どもは新しい言語を学ぶコツを生まれつき持っている。心を惹きつけ、動かす『僕の帰る場所』は、見知らぬ人々に友人を見出すことを教えてくれる有難い贈り物である。
人生は一度きりだが、よい映画や小説では別の人生を味わうことができる。
この映画はまさに在日ミャンマー人という人生を味わってしまう凄い映画だ。
移民や外国人の存在に不安を感じる人こそ観てほしい。あなたと同じ「人間」たちが映画の中で息をしている。
ドキュメンタリー映画よりもリアル、劇映画よりもエモーショナル、映画の奇跡は「僕の帰る場所」の至る所に隠されている。これを見ずに、映画の可能性は語れまい。
一体どうやって演出したんだっていうくらい圧倒的に自然な芝居。
この家族が本当の家族じゃないという事実が何度聞いても信じられない。
映画『僕の帰る場所』の魅力は何と云っても主人公である少年(カウンミャットゥ)だ。
彼の一挙手一投足に、虚実の皮膜を越えて、観客の心は揺さぶられる。
これは、藤元監督の初心と覚悟の賜物と云える。
ある家族の物語を繊細に語ることで、 世界中の様々な家族のメタファーとなっている。
フィクションを用い、現実の困難さを素晴らしく芸術的に描き、 大変優れた映画的な価値と演技を持つ作品だ。
絶え間無い恐怖と不安と共に生きることを見事に捉えた映像は圧巻だ。
カウン・ミャッ・トゥは、その若さにも関わらず幅広い感情を 確信を持って伝える力を持っている。
彼の才能は、自らのキャリアにきっと輝かしい未来をもたらすだろう。
スクリーンに描かれたことがあまりない重要な人間的な課題の緊急性や、その現代性を表現した映画。
ドキュメンタリーとフィクションの素晴らしい融合を特徴にもつ、率直な作品でもある。
映画のもつ迫力は、調和のとれた出演者たちの魅力的なパフォーマンスによって、より強調されている。
かつて日本映画が世界から尊敬されていた時代があった。庶民の人情、喜怒哀楽を描いて、そのディティールの、繊細さ、温かさ…が傑出していたからだ。それが、途絶えた…かに見えた。が平成も終わろうとしている今、唐突に、日本映画の伝統芸とでもいうべき、庶民の人情、家族の愛情を丁寧に慈愛溢れる筆致で描いた傑作として蘇ったのだ。「僕の帰る場所」だ。しかもこの奇跡ともいうべき作品を生み出したのは、私よりはるかに若い人たちなのだ。私は今、鳥肌立つくらいに感動を覚えている。是非、多くの人がこの奇跡を体感することを願っている。
企画から五年の歳月をかけたのは一見すれば誰にもわかるすごい作品だった。しかしこの作品に関して「どう撮ったのか」とか「芝居とは思えぬ演技」だとかそんな事はどうでもいい。ただ、このミャンマーから出国せざるを得なかった一家の動向を追体験するだけで「日本に於ける移民問題」「ミャンマーで何があったのか」「文化、言語の壁」など、こちらから歩み寄って考えたくなる事が沢山溢れ出てくる。そしてもう一つ、この国で生きている我々がとかく大袈裟に捉え気恥ずかしくて語る事のない「祖国」という言葉についても。是非観てほしい。
移民や外国人の存在に不安を感じる人こそ観てほしい。あなたと同じ「人間」たちが映画の中で息をしている。
2017年夏、ほとんどの予備審査員が満点を付けた時点で風が吹き始めた。これは賞に絡むぞと確信し、そのとおりになった。ミャンマーと日本をつなぐ家族の小さな物語が多くの人の心にふれて大きなものになりつつある。アジアの未来をめざして。
日本の映画界は、藤元明緒の中に、日本のダルデンヌ兄弟を見い出すことができるかもしれない。
かわいそうとも、頑張っているとも違う。この映画の主人公たちは自分の人生をただ一生懸命生きている、ぼくらはその姿を垣間みるだけだ。
この映画は観客に答えを用意していない。答えを探すのは僕らなのだと教えてくれた。
これが長編初作品となる、1988年生まれの藤元明緒監督。
日本映画、そしてアジア映画の未来を切り拓(ひら)く、途方もない才能が誕生した
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